2011年6月23日木曜日

状態

さっき中山が落としたネックレスをポケットから出して掌の上で眺めた。
蓋はなんとか閉じたけど。
蝶番の部分は完全に壊れるし、チェーンも切れちゃってるし、とてもじゃないけど首に下げるものとしてはこれはもう使い物にならないだろう。
返さないと。
大事なものだよな。
あんまり鮮明じゃなかったけど、結構いい男だった。ちらっとしか見なかったけど、たぶん、いい男だったと思う。


 どうしてかな。なんだか気が重い。
ネックレスまでもがやけに重たく感じた。




 次の日。
色石が眩く光るリング。ジャラジャラと何連も連なった重たそうなチェーン。凝ったデザインのピアス。
そんなのがずらりと並んだアクセサリーショップに行った。
ショップの中はこれまた売り物に負けないほどたくさん自分を飾り付けたオンナがいっぱいいて。
それは友達同士で品定めしていたり、カップルで仲良く選んでいたり。
こんなところに入り口でボケッと突っ立ってるオレ。
さっきっから店員がちらちら見てるし。
もしかしてもしかしなくても。……オレ、浮いてる? 

 やっぱ誰かに付き合ってもらえばよかったかなあなんて、軽く後悔し始めた頃に、店員に話しかけられた。
「なにかお探しですか?」
だからここにいるんだろーが。用もないのにこんなとこ。オレには永遠に無縁なところだと思ってたんだから。
「プレゼントかなにかですか?」

 ……プ。
プレゼント?
思わず店員の顔を見返してみたけど。コイツに説明したところで始まらない。
自分自身でもなんでここにいるのかよく分かんないくらいなんだから。

「は、あの、写真が入るやつ……」
なんてったっけ? 高原が言ってたヤツ。

 「写真? 写真立てですか?」
「いや、えーとネックレスで……」

ようやく合点が行ったというカンジで、店の奥のほうを手で促した。
「これでぜんぶ?」
「はい」
あの壊れたネックレスと似たようなのは見当たらなかった。
というよりも。選ぶ余地もないほど種類はほとんどなかった。

 「なんか違う。こういうんじゃなくて……」
イメージをそのまま説明しようとしてみた。


 中山はもっとこう……。
尖ってて。
突っ張ってて。
強くてタフ。
触れたら切れそうな、鋭いナイフみたいなヤツだ。

 一見すると、そういうヤツ。


 でも違う。
たぶん、違う。


 ずっと前中庭で見た、あの顔。
あっちがきっとほんとの中山だ。

 たぶん切れるのは触れたやつじゃなくて、―――中山のほう。



 「申し訳ありません。ちょっとそういったものは……置いてません」
オレの的を得ない説明にめげずに、店員のおねーさんは申し訳なさそうにそう言った。
ちょっと。口の端歪んでたけど。
営業スマイル。
こんなワケ分かんないこと言うオレのほうがどうかしてんだから、それでも笑えるんだから、プロだよね。


 そのあとも何軒も回って、ようやく買うものを決めたのはすでに夕方近くになった頃だった。
さすがに一日中きらっきらしたもんばっかり見てたせいか、目がすごい疲れて、家に辿り着いた。
ドスンとソファに腰をおろして、オレの選んだネックレスが入った小さな袋を眺めた。
いいって言ってんのに、キレイにラッピングまで施してくれちゃって。

 これじゃあまるでほんとにプレゼントみたいだ。
そんなんじゃないのに。
オレはただ、あのネックレスを状態のまま返すのは、ちょっと忍びないなって思っただけなのに。
だけどこうやってラッピングまでされちゃうと、これってもしかして余計なことかなーって気になってきた。



 

2011年2月13日日曜日

未来

彼の名前が〝一之瀬[いちのせ]〟であることは、認識していた。でも、下の名前までは知らない。
 しょせん、アタシと彼の関係は、その程度のものだ。
「――四七二円になります」
 ろくに人の顔も見ずに言うと、一之瀬は商品をビニール袋につめ始めた。
 愛想のカケラもない奴――と、最初は思った。でも、何度か会計をしてもらっているうちに、気がついた。ないのは〝愛想〟ではなく〝余裕〟なのだと。
 現在の時刻、二一時二四分。
 繁華街の裏通りにあるこのコンビニは、ちょっとした穴場だ。裏と言っても全く人通りがない訳ではなく、ちょっと歩けばオフィス街に出るし、近くには大きな公園もある。そこそこの立地条件だと思うのだけれど、いつ来ても空いていて、レジを待たされた試しがない。
 もっとも、アタシが行く時間帯だけが、たまたまそうなのかもしれないけど、おかげで周囲を気にせず立ち読みができるし、長時間コピー機を占領しても誰に迷惑をかけることもない。
 アタシは千円札を無言でカウンターに置き、一之瀬の手元を見つめた。
 若い男性の割には、繊細で美しい指をしている。一本一本が長くて、ちょっとした動作も綺麗だ。

 でも、とろい。
 紙パックのミルクティー、カレーパン、ミニサイズのグリーンサラダとシュークリーム。たったこれだけのアイテムをつめるのに、ゆうに三〇秒はかかる。
 スピードが勝負のコンビニエンスストアである。気の短い客なら、早くしろ、と文句の一つも言うだろう。
 アタシの見る限り、一之瀬はバーコードを通し終えた商品を〝袋につめる〟という作業だけが、不得意のようだった。
 重いもの、軽いもの、柔らかくつぶれやすいもの、はたまた、冷たいもの、温かいもの。数々の雑多な商品を、その特性を損ねることなく、いかに効率よく収納するかに頭を悩ませている。

 ようやく商品を入れ終えた一之瀬が、ほっとしたように顔を上げた。
 卵型の優しい輪郭に、二重の大きな瞳。男らしいシャープな鼻筋と、ふっくらと立体的な唇。年齢は多分、アタシより二つか三つ上だろう。ハッとするような美形ではないけれど、彼の表情には人を惹きつける〝華〟がある。
「一〇〇〇円お預かりします。――五二八円のお返しです」

 先ほどまでのぎこちなさが嘘のような素早さでレジを打ち、一之瀬は、あっという間にレシートと釣り銭を差し出してよこした。
 そのギャップがおかしくて、笑ってしまいそうになるのをこらえながら、アタシは右手でお金を受け取り、左手にビニール袋を提げた。
「どうも」
 軽く会釈をして、店を後にする。

「ありがとうございました」
 一之瀬の明るいトーンに送られて外に出ると、アタシは再び腕時計に目をやった。二一時二七分。
 大通りに向かって、アタシはゆっくり歩き出した。

 アタシがあのコンビニを利用するようになったのは、今から二ヶ月前。ここからほど近い場所にある予備校の、夏期講習に通い始めてからのことだ。
 まだ二年生だから予備校なんて早い、というアタシの主張はあっさり却下され、夏休みが終わり、秋も深まりつつある今も、引き続き週一回の講習を受けさせられている。
 授業は二一時ちょうどに終わり、アタシは二一時三六分のバスで帰宅する。
 それまでの待ち時間をどこでつぶそうかと考えた時に、目に留まったのがあのコンビニだった。周りの店はすでにシャッターが下りていて、まるでこの店だけが昼の世界に取り残されたように浮いて見えたのを覚えている。
 でも、アタシが初めて買物をした時、レジを担当してくれたのが一之瀬だったかどうかは、覚えていない。失礼な話ではあるが、コンビニの店員の顔や名前を一々把握している客なんて、めったにいないと思う。
 アタシだって、一之瀬が毎回あんなにモタモタしていなければ、彼の顔や胸のネームプレートをじっくり観察することもなかっただろう。

 ふいに、一之瀬の滑稽なほど真剣な表情を思い出し、アタシは微笑した。
 不思議なもので、彼の顔と名前が一致した時から、ほんのわずかではあるが、彼に対する親しみのようなものが芽生えていた。
 表の繁華街の賑々しさとは正反対の、うら寂しいコンビニでバイトしている青年。
 彼は一体、何者なのだろう? アタシは戯れに想像してみる。
 あのササクレ一つない、大事にされた指は、何か楽器を弾くからではないだろうか? ピアノとか、ギターとか。昼間は本職の音楽活動をしているけれど、駆け出しの彼は、まだまだそれ一本で食べていくことができない。だから、やむを得ず夜のコンビニでダブルワークをしている。そして、アタシが買物をした後も、ずっとレジに立ち続け、あの店で朝を迎える……。
 そこまで考えて、アタシは自分の妄想力のたくましさに苦笑を浮かべた。
 自慢じゃないが、アタシは割と成績が良い。学校の授業だけで十分理解できていたし、出される宿題も真面目にこなす方だから、復習も間に合っている。わざわざお金と労力をかけて予備校通いする必要性を感じない。

 とは言え、不景気なこのご時勢、家計をやり繰りしてまで予備校に通わせてくれる両親の心意気には感謝している。それだけ、アタシのことを思ってくれているわけで、未来のアタシに希望をもってくれているのだから。
 期待されたら、応えたいと思う。
 でも、アタシは、ちょっと勉強ができるだけで、将来のビジョンが全くもって見えていない。

 大きくなったら、何になりたい?
 幼いころから、何度となく繰り返されてきた質問。十七歳になった今でも、アタシはマトモな答えを出せていない。
 こんなアタシに、親はどんな未来を思い描いているのだろう? アタシにも見せてくれたらいいのに。

 中途半端に高い学習能力より、自分にしかできない、ずば抜けて優れた一芸がほしかった。ちょうど、想像の中の一之瀬みたいに。