2015年3月5日木曜日

≪COCO MADEMOISELLE(ココ マドモアゼル)の概要≫

マドモアゼル=お嬢さん、という名前とは違ってスパイシーでオリエンタルな大人っぽい香りが持続。付けた瞬間の新鮮なオレンジが控えめに香り、続いて上品なジャスミン、ローズとシャネルの定番とも言える2つのエッセンスが究極のグラマラスを極める中にバニラ、ホワイトムスクがほんのりセクシーに香り立ちます。シャネルのシンボルのクラシックボトルに官能的なピーチカラーのフレグランス。ネックはボードリュシャージュで密封され、パールホワイトの糸を巻きつけた上からブラックのワックススタンプで封印されています。

2015年2月28日土曜日

≪CHANCE EAU FRAICHE(チャンス オー フレッシュ)の概要≫

シャネルの専属調香師ジャック・ポルジュの自信作、大人気の「チャンス」が新たな魔法を加えられライトになって登場!それが「joie de vivre(生きる歓び)」にあふれるフレグランス「チャンスオーフレッシュ」です。可憐なウォーターヒヤシンスとシトラスのフレッシュで弾ける香りからジャスミンのセクシーな香りが広がり、ラストはアンバー、パチョリ、フレッシュベチバーがその余韻を残す。「チャンス」のスパイシーな部分を押さえながら可憐に、時に生き生きと大胆に香ります。

2015年2月24日火曜日

≪ALLURE(アリュール オードゥ トワレット)の概要≫

1996年の発売以来、世界的なベストセラー商品です。「ALLURE(アリュール)=ひとりひとりの魅力」という意味を持つこのフレグランスは、シトロン、シチリア産マンダリン、ローズドゥメ&ジャスミン、マグノリア&スイカズラ&スイレン、ハイチ産ヴェチヴァー、レユニオン産バニラの6つのフローラルの香りで構成されたフレグランスです。一般的な香水のように「トップ(付けたての香り)」「ミドル(付けてから2時間位までの香り)」「ラスト(2時間以上後の香り)」と順に香るのではなく、シンクロノートといって付ける人によって香りが変化する画期的なフレグランスです。調香師は「シャネルのネ(鼻)」と言われているジャック・ポルジュで、シャネルの創始者マドモアゼル・シャネルを知る人々からは、「このフレグランスは彼女そのものの魅力が表現されている」と言われた程でした。「永遠のフローラル」としてシャネルのフレグランス全てに使われるジャスミンなどの花々の香りを中心に感じる人もいれば、バニラやヴェチヴァーの甘い香りをメインに感じる人もいたりと、身に付ける人によって様々な香りを楽しめます。

2015年2月18日水曜日

≪CHANCE EAU TENDRE(チャンス オー タンドゥル)の概要≫

コンセプトは「幸福になれると信じ、自分のチャンスを大切にするポジティブに生きる女性」。キラキラと輝くような透明感溢れるのこのフレグランスはフルーティーフローラルの香り。グレープフルーツとマルメロの甘いフルーティーな香りの中にジャスミンなどの花々の香りがロマンティックに、ホワイトムスクの奥深い香りがミステリアスで魅力的な印象を与えてくれます。

2015年2月12日木曜日

≪CHANCE(チャンス)の概要≫

テーマは「チャンスを信じて積極的に情熱的に、幸福や冒険を追い求め人生を楽しむ女性」のミステリアスでロマンティックなフレグランス。ヒヤシンス、ホワイトムスク、ピンクペッパー、ジャスミンのすがすがしいフローラルと、シャネルが独自に開発し土臭さを取り除いたというフレッシュヴェチヴァー、シトラス、アイリス、インドネシア産パチュリから抽出されたパチュリのアンバーがセクシーな甘さと溶け合います。この「CHANCE」の香りは一般的な香水と違いつけたての香りから中間、最後まで変化することなくその成分がひとつの球体を成すユニークな構成。星座が瞬くように一瞬ごとに変化する香りに驚かされること間違いナシ!

2015年2月6日金曜日

≪CHANEL(シャネル)と香水≫

ラグジュアリーブランド「CHANEL(シャネル)」は、1910年・27歳のココ・シャネルがパリに「シャネル・モード」という帽子店を創業したことにはじまります。当時喪服にしか用いられなかった「黒」を初めて用いたデザイナーとして有名で、男性の下着素材であったジャージ素材の採用、女性がパンツを履くフォーマルスタイル、ショルダーバックなど革新的な提案で現代ファッション業界になくてはならない多大な成功を残しています。 そのシャネルが1921年に発表した初の香水が「No5」です。20世紀初頭、単一の花々の香りが主流で体臭をごまかすためにつけることが一般的だった時代に、ココ・シャネルは「私が欲しいのはバラやスズランの香りではなく複雑に構成された香り」と調香師エルネスト・ボーに依頼。送られてきた10本のフラスコの中から5番目のフラスコを選んだため「No5(シャネルの5番)」という名が付きました。 「この世のものとは思えないほどの美しさ」を香りに翻訳したと言われる「No5」は、マリリン・モンローが愛用したことで世界的に有名な香水となりました。発売から約90年が経過した今もなお「シャネルの5番」は世界一の売上を誇る驚異的な香水です。

2015年1月31日土曜日

CHANEL AND AUSTRIABY FRANÇOISE-CLAIRE PRODHON

オーストリアが湛える魅力と雰囲気、山の多い地形に魅了されていたマドモアゼル シャネル。オーストリアには、豊かな文化と華やかな社交界に加えて、自然やスポーツ、アウトドアでの活動と、彼女が愛を注いだすべてが揃っていました。ジャン コクトーに宛てた1922年7月16日付けの手紙に、彼女は次のように記しています。「ツァラはチロルにいます。調子が良くなって、幸せそうです。きっと私も行くことになるでしょう」。当時の多くの芸術家がそうしたように、トリスタン ツァラは、ダダイズムの同志であるマックス エルンストやポール エリュアールとその地に滞在していました。 19世紀半ば以来、ザルツブルクとオーストリア チロル地方は多くの人々が憧れる土地になりました。その人気が不動のものになったきっかけは、1920年に演出家のマックス ラインハルト、作曲家のリヒャルト シュトラウス、作家のフーゴ フォン ホーフマンスタールが創設したザルツブルク音楽祭です。音楽祭は毎年夏に開催されるオペラの祭典として、教養ある洗練された聴衆を集めるようになりました。 1930年代初め、マドモアゼル シャネルがよく訪れていたスイスの有名なスキーリゾート、サンモリッツで、オーストリア貴族のフーベルト フォン パンツ男爵と出会います。優雅で礼儀正しい彼の魅力に惹かれたマドモアゼル シャネルは、その後2年にわたり親密な関係を続けました。1930年代の前半に、男爵はオーストリア ザルツブルク州でミッターシル城を購入し、ラグジュアリーな高級ホテルへと改装します。 ホテルはたちまち評判になり、1936年には米国版ヴォーグに「オーストリアで最も話題のスポット」として取り上げられたほどでした。高い教養と気品あるマナーを兼ね備えたフーベルト フォン パンツ男爵は、グラモン公やポリニャック公夫人といった上流階級の顧客だけでなく、マリーネ ディートリッヒやダグラス フェアバンクス、コール ポーターなどの芸術家をも魅了しました。そして誰もが、洗練された雰囲気と伝統をあわせ持つこのホテルに惹かれました。宿泊客は、ゴルフや氷河のハイキングなどを楽しめた上、ファッションを愛する人々にとっては、伝統織物であるローデン製の衣類を買い求められる貴重なショッピングの機会にもなりました。このミッターシルでマドモアゼル シャネルの目に留まったものこそ、ホテルのエレベーターボーイが着用していた完璧なジャケットでした。1950年代初め、マドモアゼル シャネルはその記憶をもとに、あの象徴的なシャネルのスーツのジャケットを生み出し、1961年には、友人でオーストリア出身の女優、ロミー シュナイダーがそれをまとうことになるのです。

2015年1月26日月曜日

PARIS-SALZBURG MÉTIERS D'ART SHOW

シャネルの歴史に縁の深い都市をテーマに掲げ、卓越した職人技術を讃えるメティエダール コレクションを、シャネルは2002年以降、毎年発表してきました。ボンベイ、エディンバラ、ダラスに続いて今年、カール ラガーフェルドが選んだ都市はオーストリアのザルツブルクです。 コスチューム ジュエリーのデリュ、羽根細工のルマリエ、刺繍のルサージュと モンテックス、靴のマサロ、帽子のメゾン ミッシェル、そしてカシミヤのバリー……さまざまなアトリエの類い稀な技巧によって生み出されるシャネルのメティエダール コレクションの舞台に、歴史と伝統を重んじてきたザルツブルクが選ばれたのはごく自然ななりゆきといえるでしょう。 コレクションが発表されるのは、オーストリアで最も有名な宮殿のひとつである、ロココ様式が美しいレオポルツクロン城。18世紀に湖のほとりに建設され、ザルツブルクの芸術的で知的な社交界と密接に結びついてきたこの城が、12月2日火曜日(現地時間)、コレクションの発表を華やかに演出します。

2015年1月21日水曜日

TEASER OF "REINCARNATION", THE NEW SHORT FILM BY KARL LAGERFELD

「Reincarnation」――2014年12月2日にザルツブルクで開催される2014/15パリ‐ザルツブルク メティエダール コレクションのためにカール ラガーフェルドが監督を務めたショートムービーのタイトルです。 この作品は、カール ラガーフェルドの親しい友人であり、メゾンとも親交の深い、ファレル ウィリアムスとの素晴らしいコラボレーションにより実現されました。ファレル ウィリアムスはオリジナル曲である「CC The World」の作詞作曲を手がけ、さらに主演俳優のひとりとして、2014/15パリ‐ザルツブルク メティエダール コレクションのキャンペーン広告の顔となるカーラ デルヴィーニュとともに出演しています。 カール ラガーフェルドは、ガブリエル シャネルの人生から新たなエピソードを構想しました。ジェラルディン チャップリン演じるガブリエル シャネルは1954年、ザルツブルク郊外で休暇を過ごしています。ホテルでガブリエルはファレル ウィリアムス演じる若いエレベーターボーイと出会います。彼は後にシャネルの象徴となるジャケットを身に纏っています。 カール ラガーフェルドは次のように語りました。「シャネルのジャケットが誕生したきっかけを紹介したいと思いました。1950年代、ザルツブルク近郊のホテルでエレベーターボーイが着用していたジャケットがその起源なのです。『Reincarnation』では、エレベーターボーイの制服が女性のジャケットとして生まれ変わり、普遍的なアイテムとなるストーリーを描いています」。 「Reincarnation」はさらに、もうひとつの時代を呼び起こします。カール ラガーフェルドが蘇らせた1950年代のある一夜は、オーストリア=ハンガリー帝国時代を想起させるものでした。 「この作品はカーラ デルヴィーニュとジェラルディン チャップリン、そして誰よりもファレル ウィリアムスの協力がなければ成し得なかったものです。まさに完璧なキャスティングでした。ファレルは天才ですし、またジェラルディンはファッション界にカムバックするガブリエル シャネルを見事に演じました」とカールは語ります。 「Reincarnation」は、2014/15パリ‐ザルツブルク メティエダール コレクション ショーの前夜である2014年12月1日(現地時間)にザルツブルクで初めて上映されます。また合わせてchanel.comでも公開予定です。

2015年1月16日金曜日

THE MÉTIERS D'ART

3シーズンのプレタポルテ コレクションとは別に、シャネルが2002年以降、毎年12月に発表しているメティエダール コレクション。コスチューム ジュエリーとボタンのデリュ、羽根細工やカメリアのルマリエ、帽子のメゾン ミッシェル、靴のマサロ、刺繍のルサージュとモンテックス、そしてグローブのコースなどのアトリエによる、類い稀な職人技術と作品の数々がこのコレクションで披露されます。 カール ラガーフェルドは毎年、シャネルの過去または現在と結びつきのある都市をコレクションのテーマに掲げ、シャネルの歴史を表現しています。シャネルの本質を紐解きながら、それぞれのアトリエが受け継いできた高度な技術とその卓越した技巧を讃えています。 毎シーズン、職人たちは全精力を傾けて、カール ラガーフェルドが描いたスケッチを見事な作品に仕上げていきます。「職人(artisan)という言葉にはartが含まれていますが、彼らはこの言葉を最高の形で体現しています。ものづくりの技巧。アイディアを形にする芸術。実に素晴らしいことです。このコレクションのイメージは、こうした職人の技に裏打ちされています。作品を理解し、本当の意味でその美しさを堪能するには、触れられるほど近くで見ていただく必要があるでしょう」とカール ラガーフェルドは語ります。 シャネルは、メティエダールの伝統とその貴重な専門技術を継承する特別なコレクションを発表してきた唯一のメゾンです。10年以上にわたり常に進化を遂げてきたコレクションは、今では独自の個性をまとうものとなっています。 モダニティと職人技術の融合による優雅で洗練されたプレタポルテのワードローブ。メティエダール コレクションは、5月頃よりシャネル ブティックでご紹介しています。バッグやシューズ、コスチューム ジュエリー、さらにはボタンにいたるまで、アクセサリーのあらゆるディテールに精緻な仕上げが施されています。 東京、ニューヨーク、モンテカルロ、ロンドン、モスクワ、上海、ビザンス、ボンベイ、エディンバラ、ダラス……。そして今回は、ザルツブルクがシャネルのメティエダール コレクションの舞台となります。

2015年1月11日日曜日

シャネルの独創的なスタイルが話題に

1916年に第1回シャネル・オートクチュール・コレクションを発表。 第一次世界大戦時、パリから疎開してきたセレブ女性たちのために、安くシンプルで着心地が良い機能的な服を手掛けます。 そのスタイルは独創的なモノで、伸縮に優れたジャージ素材をファッショナブルな形としてスーツに取り入れるというもの。 その斬新なアイディアが活発的な女性たちの心をとらえ、脚光を浴び、新たなトレンドとなります。 この成功を期にシャネルの名は瞬く間に広まり、黄金時代を迎えます。 その後、1921年にパリ・カンボン通りの帽子店もクチュール店へと切り替え、カンボン通り31番地へ店舗を拡張します。 同年5月5日には最初の香水となる「シャネルNo.5」を発表、世界的に大ヒットとなります。 その後、1929年にバッグ「マトラッセ」を発表、1935年にはハリウッドと契約し、映画スターの衣装を製作するなど大成功を収めます。 当時、喪服として用いられていた黒いドレスをカテゴリーにとらわれず、独創的なスタイルを取り入れ、華やかなファッション界に広めたのはシャネルだと言われています。

2015年1月9日金曜日

出発は帽子専門店「シャネル・モード」

初代ガブリエルシャネル(愛称:ココ・シャネル)は少女時代に歌手になることを志しますが、その夢を諦めます。 ちょうど同じ頃、趣味で作った帽子がボーイフレンドの友人たちの眼に留まり、絶賛され、帽子作りへの転機が訪れます。 それから、生涯のパートナーとなるイギリス人の青年実業家の援助を受け、パリ・カンボン通り21番地に「シャネル・モード」という帽子専門を1910年にオープン。ここからファッションデザイナー、シャネルの歴史が始まります。